【赤旗】新春アトリエ対談 /日本共産党書記局長 小池晃さん/劇作家・演出家 永井愛さん

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新春アトリエ対談

日本共産党書記局長 小池晃さん

劇作家・演出家 永井愛さん

政治を変えたい思い 伝わる言葉学びたい

 劇作家・演出家として数々の演劇賞を受賞し、二兎社の最新公演「鴎外の怪談」が全国巡演中の永井愛さんと、演劇ファンとして舞台を見ている小池晃・日本共産党書記局長が語り合いました。場所は、愛さんの父、画家の永井潔さん(1916~2008)の作品を展示している「永井潔アトリエ館」(東京都練馬区)。永井潔さんの少年のころから晩年までを描いた「92年の自画像」展示を見た後、演劇・芸術論、日本の現状と展望などについて対談しました。


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(写真)永井潔アトリエ館にて、小池晃書記局長と永井愛さん

    小池 あけましておめでとうございます。

 永井 あけましておめでとうございます。

 小池 僕は1987年に小豆沢(あずさわ)病院(東京都板橋区)に研修医として入って2年目に、永井(潔)さんの担当をさせていただきました。

 永井 初めて知りました。祖母も入院していたので、私も何回か、小豆沢病院には行きました。

 小池 整形外科に入院されて、主治医は院長でしたが、僕が内科の担当に。高名な画家ですし、芸術論の理論家でもいらしたので、かなり緊張したんですけど、すごく優しいかたでした。

 永井 父の一番いいところは、威張らなかったことですね。私に対しても全く干渉しませんでした。

 小池 愛さんのお仕事を認めていらしたんですね。愛さんがモデルをつとめた作品を集めた2019年の「絵描きの一人娘」展も拝見しました。

 永井 そうでしたね。(絵を見せながら)これは、父が私を描いた最後の絵。

 小池 「a playwright」(劇作家)と絵に書き込んである。

 永井 描き上げたときには文字なんてなかったのに、額に入ったのを見たら、メモみたいな筆記体でそう書いてあって驚きました。私の芝居を見にきても、ずっとなんにもいわないで渋い顔をして帰っていって…。紀伊国屋演劇賞を個人として初めて受賞したときには、「世も末だ」と言ったんですよ。

 小池 娘さんの劇作家としての活動を誇りに思っておられたからこそ、書き入れたんでしょうね。

 永井 そういう題名をつけるのはわかるんですけど、わざわざ絵の中に書き入れたというのが、ちょっと感慨深いです。

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こいけ・あきら 1960年生まれ。参院議員。2013年日本共産党副委員長、16年同書記局長

現代と重なる1911年の事件

 小池 二兎社の芝居を初めて見たのは「私たちは何も知らない」(2019年)でした。その後、昨年の「ザ・空気ver.3」と「鴎外の怪談」。だから、二兎社の観劇では新参者なんです。「私たちは何も知らない」(明治・大正の雑誌『青鞜』編集部を描いた作品)は今の時代にぴったりでした。平塚らいてうも、ほかの女性も20代、若い登場人物が生き生きと語り、論争しますよね。1911年を描いたお芝居だけど、話している中身は今の人たちが、もがきぶつかっているものばかりでした。

 永井 全く解決していないですし、「鴎外の怪談」(大逆事件を背景に森鴎外の生きざまに迫った作品)も今につうじる、未解決の問題を扱っている気がします。

 小池 『青鞜』が創刊されたのも、大逆事件で幸徳秋水ら12人が処刑されたのも1911年。日本社会のひとつのターニングポイントだったのかなって。

 永井 本当にそう思います。自分では特に意識していたつもりはないのに、「見よ、飛行機の高く飛べるを」も含め、あのころを扱った作品を三つも書いているんです。時代が私を呼ぶんでしょうね。

 小池 女性の体というのは、まず親のもので、結婚したら夫のもの、そして兵士を産むための国家のものであるという、当時の考えにあらがう動きと、大逆事件のように少しでも政府にたてつくと全く根拠なく抹殺されてしまう流れが大きくあった。それが今の日本政治とかなり重なって見えるという感じがしました。

 永井 それはいろんなかたからすごく言われます。まるで現代劇ですねって。「鴎外の怪談」の初演は2014年で、そのときに特定秘密保護法が施行され、その後、安保法制、共謀罪と、いままでできなかったことを安倍政権が強行していった。大逆事件でも、みんなが変だとわかっているのに、戦争反対を唱えた人たちを救えないで、のちのち日本が暴走していくきっかけになるんですね。

 小池 シナリオをもう一度改めて読みましたが、「迫害を受ける人たちは、迫害を受けるという事実によって、ますます憎まれ、迫害される」とか、「被告たちは何をしたかということより、危険思想の持ち主だから、悪いことをするに違いないという理由によって裁かれようとしてないかい? つまり、社会主義、無政府主義そのものに審判が下されようとしているんだよ」ともある。今も共産党に対して、「暴力革命」だとかなんとかって、全く根拠のないデマ攻撃がされているんですけど、そういうこととも重なってくる。鴎外が山県有朋(明治の元老)のところに、直談判に行って、処刑をやめさせようとするじゃないですか。でも、親友の賀古と母親に止められる。そのときの賀古のせりふが「おい、この次から気をつけるというんじゃ駄目か?」

 永井 それ、おかしいでしょ(笑い)。私、そこ気に入っているんですよ。

 小池 今の政治状況のもとで、声をあげようとして、でもこの次でもいいんじゃないかと思っていると、その次はないというふうになっていく。

 永井 本当にちょっとずつ、がんじがらめになっていって、気がついたときにはもう身動きとれないっていう状況になってしまう。だいたい物事って一挙にひどくなったりしないで、ここらへんはまだいいんじゃないの、もうちょっとしたら言おうなんて思っていると、もう完全に動けなくなるということはよくありますよね。

 小池 鴎外の二面性が描かれているわけですが、演劇というのはそういう人間の持っている二面性を表現する力のある芸術だなと思っていて。僕は日常的に国会という政治の場面にいるのですが、時々演劇に出かけて人間の二面性を描いてあるものを見ることが、今の政治情勢を考える上で、すごく力になるなと思います。日常的なものから離れて、多面的に物事を見ていくということを考えていく上でものすごく大きな力を演劇は与えてくれるなと思っています。

 永井 鴎外って、完璧な人で近づく余地がないと思っていたけれど、普通の人間と同じような矛盾も抱えていて、その矛盾が国家的な枠組みの中で極まると、自身の人間性を試されることになる。そういう鴎外を描くことで、私たちが生きていく上での葛藤だとか、日本で今起きている現実ともつながれたらと思いました。

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(写真)絵の説明をする永井愛さんと小池晃書記局長

権力に忖度 抗する動きも

 小池 「ザ・空気」で佐藤B作さんがやった政治評論家の役も、かなり二面的ですね。

 永井 かつて政治の腐敗を追及していた記者が完全に権力側に取り込まれてしまう。実際にいますよね。

 小池 メディアというのも社会の反映という部分もあって、政治における忖度(そんたく)がメディアにも乗り移っちゃって、報道がゆがめられていく。

 永井 メディアがとくに駄目ということではなく、忖度の構造というんでしょうか。論理ではなく、力関係で物事が決まっていくというのは、日本のあらゆる組織、バイト先、会社、グループで長くまん延している病ですよね。原発事故で、今まで見えなかったことが見えてきた。「あれっ、日本のメディアおかしくない?」とか。さらに第2次安倍政権になって、どんどんメディア支配が強くなって、それにメディアが準じていくんですよね。それを、報道の自由度ランキングなどで、海外から指摘される。日本にいると、徐々に徐々に軸がずれていっても気づきにくい。衆院選もそうでしたが、メディアが何を問題にして、何を報道するかによって、世論って変わっていくので、メディアの役割は本当に大きい。

 小池 非常に危険な状況が生まれつつある一方で、それに抵抗していく動きも生まれてきていますね。検察庁法改悪案や、入管法改悪案も廃案にするとか。

 永井 ツイッターデモとか、ずいぶん力になりましたよね。

 小池 ジェンダー平等の問題でも、多くの方が勇気をもって声をあげるようになって、大きなうねりになってきているし、逆流を押し返す動きも出てきている。文化人、芸能人も政治の問題で声をあげ始めていますね。総選挙でも、「投票に行こう」と、若い著名な俳優の方々が声をあげました。

 永井 演劇人はそうでもないのですけど、いわゆる芸能人は事務所に所属しているので、事務所から、政治的な発言をするとコマーシャルがとれなくなるとか、ドラマがなくなると言われると、黙ってしまうことが多かった。メディアでも、記者は独立したジャーナリストというより、社益を優先する社員という意識が強い。日本には本人の良心や意志によって発言できない仕組み、社会構造が根強くある。それを超えて発言しようとする人が増えてきたと思います。それと、「どうせ変わらない」と、あきらめる人、両者がせめぎあっている感じですね。

 小池 東京五輪組織委の会長だった森喜朗氏が女性蔑視、女性差別の発言をした時には、短期間に大きな批判が起こり、辞任に追い込まれました。やっぱり変わってきている面はある。これを本当に政治全体を前に進めるようなことにつなげていければなと。

 永井 確かに、変わってきていると思います。

コロナ分断 演劇がつなぐ

 小池 演劇関係者のみなさんも、この間コロナでたいへんな困難に追いこまれて声をあげられました。僕も国会で演劇関係者のみなさんと懇談する機会を持ちました。あまりにもコロナ対策としての国の支援がお粗末だし、もともと文化芸術に対する財政支出が少なすぎる。少ない上にコロナで深刻な打撃を受けた。

 永井 はかりしれないですね。演劇から離れた人、やっていけなくなった人たちがたくさんいると思います。演劇人が声をあげたことで変わってはきていますが、最初に「損失補てんはしない」と安倍首相(当時)がいったために、損失の補てんをしないという考え方が一貫していて、助成は次にやる公演のためということが大枠でできちゃっている。

 小池 何か今までとは違う新しいことをやればお金出しますよと。

 永井 そうそう。そうすると損失のために新しいことをやれなくなった人に対しての援助が行き届かない。その後、演劇人が映画やミュージシャンのかたも連携して大きな流れになって、いろんな制度が出てきましたけれど、まだまだ書類審査で何度もひっかかってしまう。

 小池 文化庁が「ARTS for the future!」(AFF)という助成制度を昨年始めたけれど、これも書類審査が遅れに遅れた。第1次募集は6月に審査が終わる予定が8月までかかって、2次募集も9月開始にずれこんで、その審査が終わったのは12月10日だから、ついこないだなんですね。

 永井 実際には、もうもたなくなって、あきらめた人もいると聞きます。

 小池 「演劇緊急支援プロジェクト」のアンケートによれば、公演を中止・延期したのが4割近く、規模を縮小したのが5割以上です。審査が終わっても実際にお金が出るのは先です。公演をやったらお金が出るという仕組みだから、リスクをおかしてもやるしかない。やってはみたけど、はしごをはずされたという怒りの声が寄せられています。

 本当にこれでいいのか。おっしゃったように、新しいことをやればではなく、今までの損失を支援することが大事で、それと合わせてもともとの文化予算を増やしていく。

 永井 そうですね。もともとの文化予算の低さと支援の遅れとは関係しているんじゃないでしょうか。そこには文化芸術が生きるために必要だという考え方がないんだと思います。図らずも私たちは、コロナによって、外国の政治家が何をいうかを知る機会に恵まれましたよね。ドイツの文化大臣は「アーティストは生命維持に必要不可欠だ」と言いました。日本だけみていたら「政治家はこの程度」と思っていたけれど、「えっ、違う人がいるんだ」ということがすごくはっきりした。日本の与党の政治家からは、そういう胸を打つような言葉が聞こえてきません。

 決めつけてはいけませんが、芸術によって自分の視点が変わったり、自分が生き生きとよみがえるような、自分がリセットされるような経験をしたことがひょっとしてないのかなと。だから、芸術が何のためにあるのかわからなくて、娯楽というくらいにしか考えていないんじゃないか。芸術は自分の社会的な立場を離れて、芸術空間のなかで思いをめぐらす大切な心の運動なんですよね。それは、深いところで、人間の生きる力に直結しているんです。多様な価値観にふれ、自分を活性化させることにつながっていく。すぐれた芸術にふれて生きてきた人が政治家になる国と、芸術にあまりふれない人が政治家になる国とでは、文化政策が変わってくると思います。そんなことがコロナで見えた。

 小池 コロナで演劇が持つ力というのをすごく感じました。さっき言ったように人間のゆれ動く姿を描くのに、すごく大事なジャンルであるということと同時に、五感で感じる芸術であり、直接肉声で訴えかけてくる力がある。とくにコロナのもとで人と人がきりはなされ分断されているなかで、人をつなぐ役割が芸術にはあるし、演劇にはとくにあるなと思って。

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ながい・あい 1951年生まれ。二兎社主宰。紀伊国屋演劇賞個人賞、鶴屋南北戯曲賞、岸田国士戯曲賞、毎日芸術賞など受賞多数

声あげる体験 重ねてこそ

 永井 演劇は最終的にお客さんの前でつくられているんですね。1秒ごとにその創造にお客さんが参加している。お客さんはものも言わずに見ているだけですけど、観客の視線、観客が集中しているかどうかは必ず舞台に影響して、けいこ場では出ない、強度の集中が役者に訪れ、上演中に発見されることがけっこうあるんですよ。ある観客の前で発見されたことが、次の観客の前でまた試されて、また次の観客の反応を呼ぶ。そうやって、毎回違う観客の反応が舞台成果に組み込まれて、変わっていくのが演劇の特徴です。振り返るタイミングの一番いいところがわからないとか、そういったことが観客の前で急にわかったりする。そういう発見の瞬間を私はいっぱい見てきて、観客が演劇創造にどれだけ欠かせないかを体感してきました。その、芝居づくりの最大のパートナーがコロナによって奪われた。

 小池 見ている側も、目の前で生の演技がおこなわれて、肉声によるせりふの力があって、息遣いが伝わってくるというのがやっぱりすごく生きていくことを勇気づける力になります。

 永井 客席でも無言のドラマがおきているんですよ。全く知らない人が自分と同じところを面白いと思ったり、自分がぜんぜん面白いと思わないことを受ける人がいたりとかいろんなことがあるんですけれども、観客同士がまた、一つの全体というか、影響を受け合って、知らずに文化的なコミュニケーションをしているんです。

 小池 あまりにも予算が少なすぎて、今年はもうちょっと文化庁の予算が増えるかなと思っていたら、1億円だけでした。2021年度予算は1075億円だったのが、2022年度は1076億円。米軍に対する「思いやり予算」に2056億円ですから、思いやる相手が間違っている。あまりにも文化芸術に対する評価が低すぎる。

 与党の中にも疑問を持っている人はいると思うんですよ。僕が予算委員会でコロナで日本の文化の灯を消してはいけませんといったら、あとで自民党の議員で、「小池さん、あなたの言う通りだ」といってくる人はいる。だけど、本当の意味で文化・芸術に勇気づけられたり、そのことによって生き方がぐっと変わったりとか、そういう経験をあまりしたことがない人たちが多いのかな。

 永井 アベノマスクの保存に6億円もかかっている。国民がおかしいと思っても、投票行動につながらないと変わっていきませんね。

 小池 おかしいとは思っているんだけど、じゃあ1票を投じることでこんなすばらしい政治を実現できるということを実感していただくところまで伝えきることが僕らの課題です。

 永井 日本人のメンタリティーって、歴史的に形作られてきたわけだから、本当はこうだと思うけど、言うとたいへんなことになるから、言わないみたいなことが処世訓としてまだ生きていて、物言わぬおとなしい、我慢強い日本人をつくっているんですよね。

 そういったことが徐々にツイッターデモなんかで変わってきたんですけど、おかしいと思って行動した人たちの勝利体験が積み重なることが大事なのかなって。一歩下がってまた前にいくっていう、今その下がったところにいるのかもしれないけど、また進むからと安心していたら下がりっぱなしになりますよね。

 いま憲法の問題も出てきましたけれども、緊急事態条項みたいなものがないからコロナがまん延したみたいに、ぜんぶ責任転嫁して、視点をずらしていく。そういう“ご飯論法”みたいな、ずらし論法がまかり通っていて、それをまたメディアがあんまり追及しないんですね。もちろん政治に変わってほしい。だけども、メディアにも変わってほしい。

 メディアや政治家に要求することが、自分たちにできているかということも気になりますね。声の大きい人の前では何も言えなくなったりすることは日常起きがちなので、おかしいと思うことに対しては、言葉に出して伝えるような、しっかりした意見表明をすることが普通にできてくるといいですね。

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(写真)永井潔さんとの思い出を語りあう永井愛さんと小池晃書記局長

世界の当たり前 日本でも

 小池 永井さんは、政治にどういう役割を期待されますか。

 永井 いまの政権には驚いちゃって、期待の仕方がイメージできない。公文書改ざん、赤木さん(森友事件の文書改ざんで自死した近畿財務局職員)の(損害賠償)裁判の「認諾」。それからウィシュマさんの見殺し。報じられるたびにびっくりして、どれ一つとっても政権がつぶれるくらいのことなのに、そういう方向に行かなくて、またびっくり。自民党は数は減らしているけれども、維新の会が伸びて、改憲勢力は3分の2に届きましたね。

 小池 そうですね。国民の多くは改憲を望んでいませんが。

 永井 私は本当に憂えています。野党共闘には期待していたというか、この小選挙区制のもとで政権交代するにはもう野党共闘しかないと思うんです。それが人々の心にもう一つ響き足りないというところで、どうすればいいのかなぁと私自身も考えますね。

 「もうどうせ変わらない」「ほかに代わるものがない」「ほかよりましかもしれない」というのが選択理由で政府や議員が選ばれていくということであれば、いい方向に変わる可能性だってあるんだよということに目覚めてもらうような働きかけをしていかなければだめだろうなと思います。

 政治が、まず選択的夫婦別姓を実現する、男女同一賃金を実現する、そういった人権感覚のある、世界の当たり前にまず追いついてほしい。予算が軍事費や米軍への「思いやり予算」なんかにいくんじゃなくて、教育や医療の無償化など、この国に住む人の現在と未来のために使うべきです。政府のうそが容認され、道理の通らない今の日本は息苦しい。みんながのびのびと発言できるような、世の中になってほしいなと思いますね。

心に浸透する表現 探って

 小池 昨年の総選挙は野党共闘で政権交代をということで共産党は取り組み、最初の挑戦としては大きな成果を上げましたが、全体としてはご期待に応える結果はだせませんでした。ただ、今の選挙制度のもとで政治を変えるためには野党共闘しかない。

 永井 だいたい小選挙区制が大きな間違いですよね。民意を反映しないという意味で非常に不平等な民主主義的に問題がある制度だと思うのですが、そのなかで選挙をたたかうためにも、さらに戦略を練って、野党共闘を発展させてほしいです。

 小池 そのなかでやっぱり僕らは、もっともっとイメージ豊かに魅力的なものとして新しい政権というのはどういったことをやるのか、いまおっしゃったような、文書改ざんや人権侵害などを許さない政治、自由で平等で、選択的夫婦別姓のような世界では当たり前のことを実現する政治、憲法に書かれている通りの政治をやることを、イメージ豊かに伝えきる必要があります。野党共闘への攻撃がものすごくされたので、それをはね返すだけの取り組みには不十分さはあったと思いますし、本当に魅力ある政権の姿を示すためには、もっとわれわれも努力しなきゃいけない面があると思います。

 ただ、その攻撃の中身っていうのは、戦前やられたようなアカ攻撃とか、そんなことがいまだにやられて、メディアなども通じてばらまかれるという状況は本当に変えていかなければなりません。

 共産党という、日本の政治のなかで確かな役割を果たしている政党の主張を全く頭ごなしに否定するような議論というのは、克服していかなければいけないし、これは日本の民主主義にとっても大切な課題だと思っているんです。

 だから僕らが、共産党がどういう国をつくろうとしているのかっていうことをもっともっとしっかり正面から伝えていくという仕事に全力をあげないといけない。今年、党創立から100周年を迎えることもあり、共産党の歴史や理念、共産党綱領に示されている僕らが考えている将来の日本の姿をしっかり伝えていかなければと思っています。

 永井 共産党は調査能力とか論理性では本当に群を抜いていると思っています。昔はテレビニュースの中で共産党の議員の意見を聞くというのは、あんまり見なかったけれど、いまは志位さんとか小池さんがインタビューに答えたり、発言する場面が、普通に流れるようになった。これは、大きな変化だと思うんです。

 共産党が自分たちの主張を出していくことは大事なことですが、言葉自体は誤解のしようがないほど明快なのに、なぜかその内容が相手に届かないという不思議さってあるじゃないですか。例えば演劇だってそうですよね。何度も描かれた事実であっても、新鮮な表現によって初めて見えてくるものがある。自分が正しいと信じることって、自分にとっては検証済みで正しいに決まっているから、それを伝える言葉自体はあんまり検証されなかったりする。でも、自民党のほうが政治に慣れているからという理由で投票する人に、「待てよ、今の政治おかしいんじゃないの」と、立ち止まらせ、考えさせるには新鮮な言葉、新鮮なやり方が必要です。そこを探っていくという意味では、政治も芸術と同じで、政策を伝えるという以上に、人に届く新鮮な言葉で語りかけていくことが重要だと思います。

 外国の政治家の言葉が日本の政治家の言葉とあまりにも違って、文学的だったりポエティックだったりして驚くということをコロナ禍で経験しました。あれは、人間の主体性に働きかけているからではないでしょうか。人間って、いくら教えられても、主体的に悟らない限り変わりませんよね。自分がはぁそうかと何かを理解したとき、どんな言葉が届いていたのか。そういう心に浸透していくような表現は、政治の言葉の中にも必要なのかもしれないなと思います。

 小池 おっしゃるように正しい主張とともに、訴える側の思いが届くような言葉っていうのは大事だと。僕もメルケルさんの演説なんかはすごく国民に対する思いが伝わってくるなと感心しました。

 永井 言葉の力を信じている人たちですよね。日本の与党の政治家って、言葉で何かを伝えようとするより、人は言葉でだませると思っているんでしょうね。だまそうとする言葉に対してたたかうには、言葉により強い真実のパワーが必要で、真実って常に新鮮味がないと届きにくいんですよね。

 小池 その思いというか、情熱というか。本当に国民の苦しみに心をよせて、本当にこの政治変えたいという情熱が伝わるような言葉。そういったことを、僕らももっともっと、演劇に学んでいきたいですね。きょうは、どうもありがとうございました。

 永井 どうもありがとうございました。

(2022年1月3日「しんぶん赤旗」)