【赤旗】日本共産党を論ずるなら事実にもとづく議論を――中北浩爾氏の批判にこたえる 理論委員会事務局長 谷本諭

【赤旗】日本共産党を論ずるなら事実にもとづく議論を――中北浩爾氏の批判にこたえる 理論委員会事務局長 谷本諭

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日本共産党を論ずるなら事実にもとづく議論を
――中北浩爾氏の批判にこたえる

理論委員会事務局長 谷本諭

 1月に行われた日本共産党第29回大会に対して、多くのメディアが報道しているが、たびたび登場しているのが中央大学教授の中北浩爾氏である。

 中北浩爾氏といえば、かつては、「野党共闘への道――連合政権と選挙協力をめぐる日本共産党の模索」(2021年7月「大原社会問題研究所雑誌」掲載)などの論文に見られるように、日本共産党の野党共闘路線について事実にもとづいて分析する論文を発表していた政治学者だった。

 ところが、この間、中北氏は、第29回党大会を受けてのインタビューなどで、日本共産党が掲げた「市民と野党の共闘」について、「期待したが、全くの幻想だった」とのべ、「(野党共闘が行き詰まったのは)日米安保条約の廃棄や民主集中制といったコアを変えなかった」からだと断じ、「野党連合政権を目指すなら、日米安保の容認など大胆な政策の柔軟化が必要だ」、「党勢拡大を望むならば民主集中制を改めた方がいい」などとのべている(「東京新聞」web版・2月11日付など)。

 “日米安保条約容認の党になれ”“民主集中制を放棄せよ”――つまるところこれが、中北氏が現在わが党に対して行っている主張である。

“安保容認の党になれ”と説くなら、事実にもとづく議論を

 それでは、わが党が日米安保条約廃棄の立場をとることのどこが問題なのか、民主集中制を組織原則とすることのどこが問題なのかについて、中北氏が政治学者として事実にもとづく批判をしているかといえば、そのような批判はどこにもみられない。

 日米安保条約についていえば、その廃棄を掲げると、野党共闘の障害になるということが、中北氏のあげる唯一の「理由」らしきものである。しかし、わが党は、安保法制廃止、米軍辺野古新基地建設中止などの緊急課題で共同を強めることと、日米安保条約廃棄の世論を多数派にするための独自の努力をはかることとは、何の矛盾もないどころか、双方を追求してこそ、それぞれが推進されることを、大会決定で詳しく明らかにしている。それが間違いだというのなら、その理由を示すべきではないか。

 そもそも日米安保条約が、日本の政治に、どのような異常を引き起こしているのか、その容認を説くことが何を意味するのかを、政治学者ならば、事実にもとづいて明らかにすべきである。

 日本共産党は、日米安保条約=日米軍事同盟について、世界でも異常な特権をもつ米軍基地、憲法を無視した海外派兵体制の拡大、国際政治において軍事ブロックが果たしている有害な役割など、日米安保条約の問題点と、この条約を廃棄することの重要性を、多面的な角度から明らかにしている。さらに、軍事同盟強化に代わる構想として、ASEAN(東南アジア諸国連合)と協力して東アジアに平和を創造する「外交ビジョン」という抜本的提案を行い、その実現のために行動している。いったいわが党の主張と行動のどこが問題なのか。この日本から日米安保条約廃棄を主張する党がなくなったら、どうなるのか。中北氏がわが党に対して、“安保容認の党になれ”と説くというならば、これらの諸点について、事実にもとづいて明らかにすべきではないだろうか。ところが、中北氏の主張からは、そうした本質的な議論は全く見られない。

「人格攻撃」「パワハラ」と断ずるが、「発言内容」にしぼった冷静な批判

 民主集中制についても同じである。この間、中北氏が、わが党に“民主集中制の放棄”を説く最大の「理由」の一つとして繰り返しているのは、「民主集中制がパワハラの温床」という主張である。

 中北氏は、党大会の結語で「人格攻撃」「組織ぐるみのパワハラ」が行われたと断じるが、結語の内容は、それを読めば明白なように、発言者の「発言内容」にしぼって、その問題点に対して事実にもとづく冷静な批判を行ったものであって、発言者の人格を否定したり傷つけたりするハラスメントでは決してない。発言者の「発言内容」には、党を除名された元党員の問題の政治的本質が、「安保容認・自衛隊合憲に政策を変えよ」「民主集中制を放棄せよ」という支配勢力の攻撃への屈服にあるということへの無理解をもとに、「除名処分を行ったことが問題」だという重大な問題点があった。党大会でそのような発言がなされた以上、結語で厳しい批判を行うことは、あまりにも当然のことである。

 誤りや不十分さがあれば、率直な自己・相互批判によってそれを克服し、互いに成長していく。そうした人間集団として、互いを信頼し高めあうことこそ、党の前進の力となり、社会の進歩と変革に貢献できると、私たちは考えている。

民主集中制のどこが問題か――レッテル貼りでなく事実にもとづく議論を

 そもそも中北氏が、政治学者として、わが党に“民主集中制の放棄”を求めるならば、わが党が民主集中制の原則をとることのどこが問題なのかを、正面から明らかにすべきであろう。

 党規約では、民主集中制について五つの柱――(1)党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める、(2)決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である、(3)すべての指導機関は、選挙によってつくられる、(4)党内に派閥・分派はつくらない、(5)意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない――を定式化している。中北氏は、いったいこのどこが問題だというのだろうか。どの内容も国民に責任を負う近代政党ならしごく当たり前のことではないか。

 さらに、党大会決定は、国民多数の意思にもとづいて社会変革を実現するためには、「バラバラな党」ではできないこと、不屈性と先見性を発揮して奮闘する団結した党が必要不可欠であること、民主集中制の必要性は、多数者革命を推進する党の役割から導かれることを、理をつくして明らかにしている。また現行規約における民主集中制は、2000年の規約改正で「定義」され「定式化」されたものであること、この規約改正では上意下達だとの誤解を招きかねない表現を削除し、「民主主義的中央集権制」という表現も改め、「中央集権制」という用語を削除したこと、民主集中制の五つの柱は、どこかの外国から持ち込まれたものではなく、「わが党自身の歴史的体験から生み出された、わが党独自のもの」であることを明示している。中北氏は、これらのいったいどこが問題なのかを、事実にもとづき論理的に明らかにすべきではないか。

 しかし、中北氏が行っているのは、そうした真剣な議論ではない。中北氏は、わが党が「異論を唱える党員を『支配勢力に屈服した』と糾弾する」「簡単に除名や除籍を行い」などと批判しているが、まったくの事実誤認である。除名された党員は、「異論を唱えた」からでなく、規約のルールにのっとって党内でそれを表明することをせず、党外から党を攻撃したことが問題とされたのであり、除名が党規約にもとづいて適正に行われたことは、党大会で確認された報告でも詳しく明らかにしている。

 中北氏は、わが党の組織原則を「時代遅れ」と断じ、「欧州の急進左派の主流」は、民主集中制を放棄しているとして、その一例としてドイツ左翼党をあげている。ドイツ左翼党は、「欧州のNATO(北大西洋条約機構)化」と言われる大逆流のもとでNATO反対で頑張っている党だが、一昨年秋、党訪問団が、この党の指導部と会談したさい、党の規約から民主集中制を削除し、派閥を認めたことが、いくつもの派閥をつくることにつながり、その主導権争いがメディアで報道され、深刻な困難に陥っているという悩みが率直に語られた。ドイツ左翼党の経験は、軍事同盟反対という政治変革の立場に立つ党で派閥を認めることがいかに有害かを私たちに痛感させるものだった。欧州の事例をあげて、わが党に“民主集中制の放棄”を求めるなら、こうした事実も踏まえることが必要ではないか。

 「パワハラ」「異論封じ」「閉鎖的」「時代遅れ」――。中北氏は、わが党の民主集中制の原則に対して、雨あられのように批判の言葉を投げつけるが、どれも事実にもとづく批判とはいえない。どれもこれも独断的なレッテル貼りだけである。

“ゆがんだ「鋳型」にあてはめてすべてを裁断する”といった批判でいいのか

 こうして結局のところ、中北氏のわが党に対する批判は、“安保容認の党になれ”“民主集中制の放棄を”という“鋳型”が先にあり、そうしたゆがんだ“鋳型”にあてはめてすべてを裁断するというものになっている。民主主義の社会において、どのような批判ももとより自由だが、それは事実にもとづいたものであるべきだということを強調しておきたい。

―2024年2月21日しんぶん赤旗

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